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夜勤明けの、お楽しみお弁当。

  • shimauchi5
  • 8月25日
  • 読了時間: 6分

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私は、病床250の総合病院に勤務する看護師です。

担当は、循環器内科などではなく、骨折とか椎間板ヘルニアなどで入院される患者さんを受け持っています。

整形外科は、内科と違い、入院患者さんは患部以外は健康な方がほとんどですので、食欲旺盛な方が多く、若い男性患者さんなんかは、ご飯大盛りを依頼されるくらいです。


昨日の検温の時でも「昨日の白身魚の野菜あんかけ、うまかったぁ~」って言われました。

入院患者さんにとって、食事は想像以上に、とても楽しみなものです。

こうやって感想を言ってもらえると、私だけでなく、管理栄養士や調理師も大変やりがいを感じる瞬間なのです。


楽しみと言えば、私には中学2年の娘がいます。娘には、毎日お弁当を作り、持たせています。

共働きの旦那にも、”ついでに”ですが、一応ざっくりと作っています。

旦那はほとんど感想を言いませんが、娘から「今日のお弁当チョー美味しかった!」と無邪気な笑顔で言ってもらえるのが、とても嬉しく、そして、カラになったお弁当箱を見るのが、毎日のちょっとした、私だけのやり切った感が得られる楽しみでもあるのです。

 

そんな娘から、”食の在り方”について教えてもらった事をお話しします。

 

考えるキカッケをくれた、娘の一言。

 

それは、半年くらい前のできごとでした。

明日は、約10日に一回やってくる夜勤。

その為に、いつもより多めに夕食やお弁当のおかずを作っていました。

学校から真っすぐ塾に行き、ようやく娘が帰宅したのは、20時頃だったと思います。

「ただいま~」と娘。

「お帰り~。手を洗ってらっしゃい。すぐにごはんできるから。」

ピーマンと豚肉のピリ辛炒めを作っている私に、娘がお弁当箱を差し出しました。


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そのお弁当箱を手にしたと同時に、娘から「ごめんちょっと残した。」と。

確かに、手渡されたお弁当箱は、いつものカラの重さではありませんでした。

「あら。何か美味しくなかった?」と聞いてみると娘は「う~ん・・・キンピラがね・・・ちょっとね。」と何とも読みづらい表情で言いました。


もともと、娘は生まれつき、卵アレルギーがあったため、幼少期にはかなり神経を使いました。

なかでも、かわいそうだったのが、卵無しのお誕生日ケーキでした。

それはもう、ケーキというより、パンに近かったと記憶しています。

それでも、小学高学年になる頃には、徐々にアレルギーも克服し、少しずつですが、卵入りのお菓子やケーキを食べれるようにはなりました。

でも、初めて食べるものには、今でもとても慎重になってしまいます。恐る恐る口にする、というクセは一生治らないと思います。


キンピラには卵はなかったはずです。

「キンピラが良くなかったの?」と聞いてみると、

「いや、口の中がざらつくとかではないんだけど・・・不味くはないけれど、ちょっと味が濃ゆいというか、ごぼうや人参の味がしないというか・・。」


「つくねハンバーグとか、卵焼きは美味しかったんだけど、キンピラがちょっと・・。」

お弁当箱を開けてみると、バランにはほとんど手を付けていない、キンピラが残っていました。

捨てるのがもったいない、とチラッと思いましたが、何かを断ち切るように処分しました。

 

そのキンピラとは、閉店間際の病院の近くのスーパーで買ったものでした。

娘のお弁当は、旦那とは違い、主菜と副菜、彩りなどをバランスよく配置します。女子弁なので、友達と競うわけではありませんが、旦那の弁当のように、ざっくりとはいきません。ある意味、お昼のちょっとした品評会だと、わたしは張り切って毎回作っていました。


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卵アレルギーだったから、という訳ではありませんが、娘のお気に入りは“出汁の効いた卵焼き”なのです。

これは、毎回作ってお弁当に入れています。

他のメインは、つくねハンバーグだったり、ピーマンの肉詰めだったり、その時々で変更しますが、卵焼きだけは娘の希望もあり、しっかりと定位置に配置します。


きんぴらごぼう。

確かに、このレシピを最初から自分で作る事は、ここ最近はありません。

それこそ、娘が生まれる前、旦那と結婚した頃が最後で、もはや作り方さえ、薄っすらとしか覚えていません。


そんな、埋もれていた記憶の中をウロウロしていた時に、ハッと気づかされたのでした。

私は、私の母が作るキンピラが大好きだった事を。

母のキンピラは、作るたびに、具材の種類が様々だったり、薄味だった為か、大きめのゴボウの風味がしっかりと残っていました。


それと同じくらい好きだったのが、芋のつるの煮物です。

これも、出汁が効いて、全体的に薄味で、ほんのりと甘く、芋つるのシャキシャキが食べていて、リズミカルに口の中で咀嚼されていく感じが大好きでした。

この煮物に、たまに鳥のそぼろが入っている時は、永遠に食べれるのでは、と思うくらい食べていた事を思い出しました。


自分は、母の手作りなのに。

娘には、誰が作ったか知らないもの。

 

ちょっと複雑な気持ちが湧いてきましたが、「仕方ないわよ。専業主婦じゃないんだから。」で、それ以上進みそうな、決して叶う事のない理想を捨て、悲しくなりそうな現実の思考を遮断しました。

娘には「今度からは、なるべくスーパーの副菜は入れないようにするわ。」と、やや高いハードルだと分かりながらも、”これは、母から娘へと受け継ぐものだ”と心に秘め、娘にそう伝えたのでした。

 

娘の一言が、記憶の中に埋もれていた母の味を、呼び起こしたのでした。

その日は、明日が長丁場の夜勤にも関わらず、なかなか寝付けなかった事を覚えています。

 

夜勤当日で、患者さんへの対応を手順通り終え、病棟や廊下を消灯モードに切り替えて、もう一人の夜勤担当の方とつかの間の休息をとっていた時に、その同僚から一枚のチラシを渡されました。



 

KANESUE KITCHEN


チラシには、お店らしき名前と美味しそうな食べ物の画像がたくさん載っていました。

 

「よほど自信があるのかしら、これ見てよ。ここ。」と同僚が指を指した箇所にはこう書かれていました。

 

味付けの陰に、素材が隠れるような調理はしない。

 

昨日の娘の答えが、ここにあった。

背筋がゾクッとするような、瞬きを忘れてしまうように、一字一字、何回も読んでしまいまいした。

 

同僚が言うように、よほど自信があるのかしら。

それとも、単に客寄せの過剰なキャッチコピーに過ぎないのかしら。


「これもらっていい?」と同僚に聞いたら、「1階の総合受付の告知パネルに、まだ在るからいいよ。」と快く譲ってくれました。

さらに「私たちのような仕事には、こういう”あって良かった”と思う食品って、あるようでないのよね~。週末だけの営業みたいだから、明日の夜勤明けに行ってみようかなぁ。」と、何となく一緒に行ってみない?オーラを感じたので、「あっ、だったら私も一緒に行ってみたい!どう?一緒に?」と、急展開にも関わらず、同じ目的が出来たことへ、内心とてもワクワク感が湧いてきたのでした。

 

娘が好きそうなものあるかなぁ、と想像し、何事も無く夜勤業務は過ぎていったのでした。


娘が考えるキッカケを作り、そのチラシが方向性を示したものは、手作りが大事、というだけでなく、過度な便利さは、母子の受け継ぐべきものを分断しかねない、という”食の在り方”の示唆だったのかもしれません。

 

 
 
 

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